HOME > お知らせ
解散権の濫用【かいさんけんのらんよう】

★首相の私物・・・私物だったら濫用するなという方が無理


  安倍首相の解散は、さしあたって、「今やれば勝てる」というのが第一ではあります。しかし、解散は臨時国会の冒頭。本来、選挙に向けての論戦の第一陣となるはずの所信表明も、野党側からの追及を恐れてかパスでした。閉会中に第三次改造を行った、自称「結果重視の仕事人内閣」は、一部の閉会中審査出席者を除けば、国会に一度も出ることなく解散の閣議決定に署名して仕事は終わり。まじめに仕事する気で来た人間なら、くだらないことに付き合わせるなと怒るでしょう。


 ここまでのわがままでたらめぶりに、さすがに「解散権の濫用」との批判も噴出し、野党の一部からは解散権に制限を課すべきという憲法改正の主張まで飛び出す始末です。ただ、「解散権の濫用」が今に始まったことなのかというと、そうでもありません。


 さらに言いますと、「内閣の解散権」については、憲法上にも直接的な根拠はありません。衆議院の解散について直接の言及があるのは、7条(天皇の国事行為)、69条(内閣不信任)あたりで、7条に対応する形で内閣の実質的な決定権を列挙した73条には、解散の記述はありません。7条2号(国会の召集)、3号(衆議院の解散)は、セットで73条から抜けているという指摘もありますが、2号には52~4条が対応しています。


 このような事情から、衆議院の解散が許されるのは内閣不信任の場合に限定されるとする69条説がありまして、これに従うならば、正しく解散権が行使されたのは、過去四回しかなく、他は濫用というより権限外の違憲無効な解散となります。ただ、これは少数説です。多数説は現状肯定優先で、天皇の国事行為に対する内閣の助言と承認の権限を根拠とし、内閣が自由な解散権を持つとする7条説が主流となっています。


 ついでに最高裁の判例ですが、逃げています。憲法上、最終的な違憲審査の責務を負っているはずの最高裁ですが、最初の7条解散となった1952年の「抜き打ち解散」の無効を争った「苫米地事件」で、高度に政治的な問題の審査は権限外(いわゆる「統治行為論」)として、判断を示しませんでした。


 憲法というのは、そもそも政治的な法です。高度に政治的な問題についてきちんと憲法判断を下すのは、「憲法の番人」たる最高裁の当然の責務です。それを放り出した結果、7条解散は事実上追認され、解散権は「伝家の宝刀」などと呼ばれ、実態上は首相の私物として定着するに至っています。私物なんですから、濫用するなという方が無理です。批判するなら、私物化の原点に立ち返りましょう。


 野党の方も身勝手なところがありまして、自分らが優勢な時には解散を迫る一方で、不利な時に解散されると濫用だと騒ぐ。やばい武器は、使われてから騒いでも手遅れです。持ってるうちから騒ぎましょうよ。北朝鮮が鋭意開発中の「金王朝伝家の宝刀」と対比してみれば、一目瞭然じゃないですか。



文・土屋彰久(政治学)   2017.10.18